平昌五輪は○○のもの
こんにちは。
採点以外の記事を書くのは久しぶりのような気がします。
今日で五輪も閉幕ということなので、なんだか思うことがあって書くことにしました。
すごいですね、日本勢は。
メダルラッシュで長野五輪の記録を抜いて最多獲得数を記録したそうです。
個人的に冬季は地味なイメージがあってあまり期待してなかったのですが、思っていたよりはるかに楽しんで観てました。
羽生結弦と宇野昌磨のフィギュアスケートは丁度広島旅行と日程がカブッてしまって観られなかったので、それが残念です。
個人的に今回の五輪のハイライトを一つあげるならば昨日のマススタートの金メダルです。
カーリングも面白かったので、同時刻の試合だったのが勿体無かったなぁと思うのですが、リプレイ映像で結果がわかっていてもドキドキします。
もしカーリング観ててマススタートは観てなかったとか、そもそも別の予定が入ってた、なんて人は是非リプレイ映像でも観てみてください。
まぁでも思い返せば「羽生の金は流石だった」とか「ハーフパイプの平野の連続4回転がかっこよかった」とか「女子パシュートはやっぱり強かった」とか色々出てきますね。
僕はスポーツ観戦好きなので、五輪みたいな多くの競技を一斉放送してくれる大会はとても楽しいです。
毎年やってくれないかな。
さて、そんな中で下らない反韓派の連中が大会中でもひたすらに竹島竹島と繰り返し、新聞記事に対して文句を並べていたのですが、僕にとってはそんなことはどうだっていい。
五輪という大会の中で、スポーツによる世界平和が実現してるのに、少し黙ってて欲しいですね。
別に主張することが悪だとは思いませんが、邪魔です。
似たようなことなんですけど、最近ニュースとかツイッターとかで「五輪のメダルを国の功績にするな。それは選手の功績であって国のものじゃない」みたいな文言を見かけました。
それでこの記事「平昌五輪は○○のもの」とさせてもらったんですけども。
皆さんは○○に何が入ると思われますか?
あるいは、五輪メダルは誰の功績だと思われますか?
そんなことはどうでもいいですか?
僕にとってはどうでもいいです。
そんなわざわざ取り上げて批判するようなことですか?
選手たちにとっては選手自身の努力の結晶であって、国家云々は関係ないと思います。
でもなんだか日本がいい成績残すと自分のことのように嬉しいじゃないですか。
だって自国の選手じゃないですか。
ちょっと違うかもしれませんが、フィオレンティーナがスクデット獲ったとして、フィレンツェの偉大な功績だ!と地元紙で取り上げたときに「違う!選手の功績であってフィレンツェの功績じゃない!」なんて言う人間はフィレンツェにはいないと思いますね。
だってフィオレンティーナはフィレンツェのチームなんですもの。
先程ハイライトにあげた女子マススタートで、日本の高木菜那に敗れた韓国の選手が観客に土下座してる場面があったそうで、「韓国はなんて酷い国だ!」「何もそこまでしなくても」なんて言葉を見かけました。
確かに土下座を強要されてるのであればこの言葉は正しいと思います。
でもそうじゃなくないですか?
韓国の選手は国民の期待にきっと応えたかった。
でもそれが出来なかった。
あれは選手自身の意思です。
あの選手は紛れもなく「韓国」だった。
自国の誇りをかけて正々堂々戦ったんだと思います。
きっと、応援してくれる観客のために勝ちたかったんだと思います。
それゆえの土下座だと思います。
僕にとってはあの選手の行動はあの選手の誇りを示した立派なものだと思っています。
別に土下座しなくたって全然いいんですけどね。
平昌五輪は選手のものです。
平昌五輪は観客のものです。
平昌五輪はメディアのものです。
平昌五輪は開催国のものです。
平昌五輪は...
何を入れたっていいじゃないですか。
平昌五輪はそれを楽しむ者全てのものだと僕は思います。
それに政治的思想云々を主張して楽しくない議論を始めるのは相応しくないと思いますね。
最高の大会だったと思います。
色んな問題があったのかもしれませんが、それは次に活かせばいいので。
日本に住む1人として嬉しく思います。
ご意見・ご感想ございましたらコメントいただけると嬉しいです。
拙い文章読んでくださってありがとうございました。