アストーリの急死からしばらく経って、フィレンツェでは彼の葬式が行われました。
数々のサポーターと戦友達が訪れ、誰よりも立派な葬儀になったと思います。
以前にも書きましたが、アストーリが亡くなってから彼の死を憂うコメントや彼の人柄を謳ったコメントがたくさん出ています。
読めば読むほど、一体彼以上にキャプテンマークを付けるべき人間がどこにいるのかと思わせるほど、人間的に優れ、愛された選手なんだと思いますね。
勿論このタイミングだからこそ美談ばかりが出てくるのは当然ですが、こんなに多くのコメントが寄せられることはそうないと思います。
少し前までヴィオラに在籍していたカルロス・サンチェスは自身の試合後にアストーリの訃報を聞いてその場で崩れ落ちたそうです。
そんな選手がいるでしょうか。
既にクラブを去った後にも関わらず、アストーリがかつて6年在籍したカリアリでもヴィオラ同様13番は永久欠番になるそうです。
これらのエピソードだけでもどれだけ彼が愛されていたかが分かります。
サポナーラのInstagramに載せたアストーリへのメッセージは涙なしには読めません。
加えて、先日の葬儀のバデリの弔辞が素晴らしく、泣いてしまったので、簡単に紹介したいと思います。
ダヴィデへ
チームメイトや紫の家族を代表して僕が話すよ。
君の名はヘブライ語で “beloved(最愛の)”を意味する。
今日ここにいる君への愛情を示したみんなからも分かるよ、(「最愛」は)まさに君の名だ。
ダヴィデ、君の目が人々の中に入り込んでそこにとどまるんだ。
君は他の誰でもなかった。
たとえ言葉をよく知らずとも僕らみんなと会話を試みて心で通じ合い、僕らを一つに繋げるんだ。
君は心と言う名の共通言語の才を持っているんだ。
君のご両親は君に何の不満もなかったに違いない。
君はまさにみんなの理想の兄弟や息子だったんだ。
君は誰もがチームメイトにいて欲しいと思う完璧なチームメイトだった。
君がそばにいると安心するんだ。「大丈夫、ダヴィデはここにいる。」ってね。
僕らは君の笑顔を、君のジョークを忘れることが出来ないよ。
君は自身を定義づけることが好きだったけど、君はまさにフットボールそのものだ。
純粋な子供たちの1人のようにね。
僕らの思いは君のご家族、フランセスカやお姫様のヴィクトリアとともにある。
僕らはみんな君の娘さんにダヴィデはどんな人だったのか伝えなければならない。
育ちゆく君の娘さんは父親がどんな人だったのか知る必要があるからね。
偉大な男だった、と。
最後に逸話で終えようと思う。
朝、君がロッカールームに着くといつも必ず君が明かりをつけた。
僕らみんなにとって君は光なんだ。
ありがとう、ダヴィデ。
英語を介しての翻訳で、時間をかけずにざっくりとした訳になってるので訳し漏れや誤訳があるかもしれませんが、素人の趣味レベルだと思ってご容赦ください。
僕らのキャプテンは時間を必ず守って誰よりも早く朝食やロッカールームに現れ、チームメイトみんなとコミュニケーションを図り、どこまでも謙虚で純粋な男でした。
愛されていたのが自然と分かります。
多くの追悼のコメントを読むたびに目頭が熱くなりますが、僕らは前を向かなくちゃならない。
だから、葬式を終えた今、振り返らずに前を見ることにします。
そのきっかけの記事です。
どれだけ死を惜しもうと、未来は残酷にやってきます。
彼の死からは遠ざかる一方ですが、次の試合へは一分一秒と近づいていくのです。
だからこそ、次のベネヴェント戦には勝利してアストーリにその勝利を捧げなければならない。
前を向きましょう。
次の試合を考えましょう。
最後に、フィオレンティーナを代表してなんてのはおこがましい限りなのですが、このブログを代表して、共に悲しんでくれた他チームのサポーターの方々や紫の仲間たちに感謝申し上げたいと思います。
この一つ前のアストーリの急死の記事は多くの方に読んでいただきました。
拙い文章でお恥ずかしい限りなのですが、Twitter上で色んなコメントをいただいて、同じ気持ちを持ってる仲間がいることや、他チームのサポーターの人も同様に悲しんでくれていることが嬉しかったです。
ここから先は、観戦した試合の採点やニュース等に関する僕の考え等をいつも通り書いていきたいと思います。
ありがとうございました。